世界で活躍する一流のスポーツ選手
プレーだけでなく人間性でも人々を魅了する彼らは
どのように育てられたのか?
こんな本がある。
一流スポーツ選手だけに関わらず
各業界でトップレベルに行く方々の親の話を聞いていると
わたしからすると「いいなぁ」と思うようなことばかりである。
例えば
全肯定されて育った
試合に勝つと誰よりも喜んでくれた
いつでもどこでも味方でいてくれた
好きなことを自由になんでもさせてくれた
などなど
彼らにとっては当たり前のことでも
こういうことを経験せずに大きくなった人からすれば
とても羨ましいことなのである。
わたしは、
「なんでこの親のところに生まれてきたのだろう」
そう思って生きてきたところがある。
わたしの記憶の中では
テストでいい点数を取っても
かけっこで一番になっても
ピアノやクラリネットでコンクールに入賞しても
褒められたことがない。
印象に残っているのは
できたことよりも
できなかったことを注意されること
いつも重箱の隅をつつくように
至らない点を指摘されてきた。
わたしの「完璧でなければならない」という思い込みは
この育てられ方によるものではないか、と分析している。
子どもの頃は
一挙手一投足を監視されているようで
居心地が悪かったように思う。
親との関係性を語るには
シリーズ化できるほど長い物語になるので、笑
今日のところは置いておいて・・・
今回言いたいことは
「親がどうであれ、自分で選択、決断することができる」
ということ
わたしがこの考えに至ったのは
長い年月をかけて自分と向き合い
親とのぶつかり合いもあり
いろんなことを乗り越えてきた結果でありますが
まずは
自分ではどうしようもないことを
「受け入れる」ということ
このスキルが身についたことで
わたしの人生が180度変わったと言っても
過言ではないかもしれません。
自分では変えられないことは
ただただ「そうである」と受け入れて
自分が変えられることにフォーカスをして
行動していく
自分では変えられないことって
たくさんありますよね?
例えば天気、電車の遅延、他人の行動言動考え方 など
わたしで言うと
フォーカルジストニアという症状
わたしを昔から知っている方たちはよく分かると思いますが
わたしが病気を受け入れたときから
人生の歯車が一気に動き出しました。
親に対しても同じです。
「なんでこの親なんだろう?」から
「この親を選んだのには意味がある」と
自らが選んだんだ、と内側に矢印を向けたら
関係性も変わりました。
親からの育てられ方は人格形成に大きく影響しますが
いくつになってからでも
「変わりたい」と思えば変わることはできます。
子どもの頃に言われて嫌だったことも
大人になった今、見方を変えたら
それを言われて良かったことも見つけられたりします。
「親がこんな風に育てたせいで自分はこうなんだ」(否定的)
みたいな思い込みがずっとありましたが
そんな自分を選択していたのは
わたし自身なんですよね。
「親がこんな風に育ててくれたおかげで、自分はこんなにいいところがある」(肯定的)
今はこんな風に思っています。
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