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執筆者の写真Hiroe

治す必要、ある?

友人がわたしに伝えたひと言


「それ、治す必要あるのかな?」



衝撃でした。


驚いている猫


 


わたしは2011年に「フォーカルジストニア」に罹患してからこれまで

「治すこと」「少しでも良い状態にしていくこと」

そこにフォーカスして

ありとあらゆる治療やリハビリ、ボディワークやエクササイズを続けてきました。


しかし

「すごい効果のあるものだった」と体感できるものは

残念ながらなかったんです。



【 良くなったような気もするけど、そうじゃない気もする 】

【 なんだか、よく、分からない 】



これが正直な気持ちです。




先生や治療との相性もあるし


わたしに効果がなかったからと言って

他の人もみんなそうか、というと決してそうではなく


逆に誰もやってこなかったアプローチが

治癒に導いてくれるかもしれない


その辺はわからないことです。




今のわたしだったら

効果が出るものがあるかもしれません。



 


わたしは今

「病と共存」しながら演奏活動をしています。


この【 病と共存 】することを心から受け入れることができてから

わたしの人生はすごく変わりました。




一昨年から演奏活動を再開しましたが

そんな中でも常に葛藤がありました。

どうしても「完璧主義」のあの頃のわたしが顔を出し

うまく出来ないことへの自責がいつもどこかにありました。




そんな時、友人が言ってくれたんです。

「それ、治す必要あるのかな?」



これ、演奏活動ができない10年間だったり、

一生懸命リハビリを行いながら演奏活動をしている最中であれば

受け止めきれない台詞だったと思うんです。




でも、わたしはこのひと言に「ハッと」しました。




友人は続けて

「ひろえちゃんの音楽は、こんなにも多くの人を感動させることができるんだよ。」

「今のひろえちゃんって、完璧だよ?」

「こんな音が出せる人、他にいないよ」

「だったらそこから、病気を無くしてしまう必要ってあるかな?」


そう言ってくれたんです。



 


こんな表現をしたら、ちょっと変に聞こえるかもしれないけれど

わたしは病気に対して「愛着や愛らしさ」を感じています。



自分の身に起きていることは

全て意味があります。



結果論になるのかもしれないけれど

「全ては受け入れるところから」



そこからは、怖いくらいのスピードで

点と点が繋がり線になる感覚を

味わえます。

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