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執筆者の写真Hiroe

知ってる故の弱さ、知らない故の強さ

わたしは3歳からピアノを習い始め、小学生のときは業界では有名な先生に師事し

コンクールも何度も受けました。

中学生では、たまたま校区の学校の吹奏楽部が全国大会で金賞を連続で受賞するような

強豪校で、そこで3年間クラリネットを吹いていました。


高校生になって、ピアノともクラリネットとも距離を置きたくなり

1年間のお休みをしました。

しかし、将来のことを考えるとやはりわたしは音楽と共に生きていきたいと改めて感じ、

再びピアノとクラリネットを再開。

グランドピアノは無理でしたが、クラリネットを買ってもらって

大学はクラリネット専攻で目指すことにしました。



わたしは家庭の事情もあり「北海道教育大学札幌校」の一択でした。

国立で実家から通える、という理由です。



勉強が得意なわけではなかったので、センター試験(当時)が非常に辛かったですが

それでも現役で入学することができました。



大学に入ってからはクラリネットがどんどん楽しくなっていって、スキルも日ごと上達していったと思います。

コンクールにも挑戦し、北海道代表で全国大会に出場するようにもなりました。


そして、大学の推薦を受けてノルウェーのグリーグ音楽院に交換留学生として派遣されます。

それがきっかけとなって、「世界を見てみたい」という想いがより強固なものとなり、ノルウェーから帰国後にフランス、パリへの留学を決めました。



フランスから帰国後は、故郷札幌を中心として全道各地演奏活動をしておりました。

オーディションもたくさん受けました。

勝ち取った人しか見られない景色をたくさん見てきたと思います。



 


ここまで読んでみると、失敗も挫折もなく華々しい世界を歩んできたように見えますね。

環境にも恵まれていたかもしれません。



だからこそ、「フォーカルジストニア」という病にかかり

もう演奏をやめるしかない、という窮地に立たされたときに

あそこまで落ちてしまったのかもしれません。




これまでは乗り越えられなかった壁はなかったのに・・・





そんな風に思っていた記憶があります。




 


わたしは人との出逢いに恵まれています。

出逢いのたびに自分の器や世界が広がるので、本当に幸せなことなのですが

その出逢いの中にはわたしをザワザワさせる人もいます。



「音楽教育を受けていない演奏家」



音楽家、演奏家といってもクラシックだけではなく色んなジャンルがあります。


わたしはバリバリのクラシック界におりましたから

他のジャンルに関しては素人みたいなものですし、

なんなら「クラシックこそが王道」みたいな思いもあったのではないかな、と

感じています。




わたしは小さな頃から「学んで」きました。

奏法、歴史、様式、理論、和声、楽典、ソルフェージュ、ソロ、アンサンブル・・・

多角的に学ぶことが幅広い視野や技術を身につけることに繋がる、と

そう教えられてきました。



だからこそ、「知っているから」こそ


「これが正しい」

「これはおかしい」


みたいな思考が出てきます。



*****



先述した「音楽教育を受けていない演奏家」さんは

ひと言で言うと「自由」なんです。囚われがない。

その方の演奏を聴いていいなと感じる反面、お話とかを聴いていると

ザワっとすることもあります。



きっとわたしはその方が「羨ましい」んだと思います。



「正しい」も「間違い」もない

ただただ自分が「良い」と思うものを表現する世界

そこには評価もなくて、心地よいと感じる人だけが集うそんな場



わたしもそんな穏やかな世界にいきたいな、という願いがありつつも

「知識」と「経験」が足かせになったりしている。

あとは「プライド」ももちろんあります。

わたしは努力と根性と負けん気で、欲しいものを手に入れてきた人間だから。



病気になってから復活するまでに10年間という時間がかかったのも

もちろん心の傷を癒やすために必要な時間ではあったけれど

「プライド」ゆえ、表に出てこられなかったというのもあります。




 


「わたしは大きな変容のときにある」


そう感じています。

ここを抜けるとまた新しい世界が待っている。


しばらくこのザワつきと、向き合ってみますね。

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