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  • 執筆者の写真Hiroe

当たり前?

「失って初めて有難みに気付く」と言いますよね



わたしは自分の身体を「無敵」と思っていました

どんなに無茶をしても、酷使しても、

寝るとある程度回復してくれる


人間の身体って本当に優秀です



でもね

「辛いよ」とか

「痛いよ」とか

「しんどいよ」とか

きちんとサインは送ってくれているんですよね



そこに気がつかなかったのか

気付いてはいたけれど、無視していたのか

とにかく自分の身体を大切にしてこなかった

若かりし頃



 


身体が自分の思った通りに動くのが当たり前だった

身体が動くということに対して、深く考えたことなんてなかったし

だから当然のように感謝の気持ちなんてなかった


病気になってもまだなお、身体に対して感謝の気持ちは持てなかった




前回のブログにも書いたけれど

病気になったこの身体が憎いと思っていたくらいだ

思い通りに動かないだなんて、なんて使えないヤツだ!って・・・





そんなわたしに「カラダ」のことを教えてくれる先生がいる

その先生に

「あなたはあまりにも身体を大事にしてこなかった」

と言われたのが去年の秋頃


最初はその意味が全く分からなかった

むしろ、わたしは身体のことはよく考えている方だと思っていたから




しかしそのひと言が

わたしのカラダに意識を向けるきっかけとなった




 


虐めようとしていたわけではない

無自覚に、無意識に、酷い仕打ちをしていた

毎日毎日、じわじわと追い詰めていっていた

準備運動はせず

毎日練習後には疲れ果ててその場に倒れ込むほど追い込んでいた

練習が終わったあとにマッサージをするなど

身体を労うこともほとんどなかった



意図していたわけではないけれど

結果的に大事にできていなかった





「そんなこと言っても、それがなかったら上達はできなかったよね?」

「上手になりたいの一心だったのに・・・」

という言い訳も同時に出てきたのが正直なところ


しかし、指が動かなくなったことが事実である

言い訳していても進まない

どんな想いがあったかは自分が一番知ってる

その気持ちはそのまま受け止める

そして事実もそのまま受け止める



受け止めることでしか

先に進めない





なぜ、再びクラリネットを持つまで10年という時間がかかったのか?

それは指が動かないという事実を受け止めることができなかったから


今は「受け止める」ことはできるようになったから

このように話せるようになったのだろう

(病気を長い間ひた隠しにしてきた過去がある)




もしかしたら今でも「受け入れる」ことはできていないかもしれない

楽器を持つと「完璧主義スイッチ」がONになってしまうのだ

・ちゃんとやらなきゃ

・間違えちゃいけない

・上手にできない自分にこっぴどくダメ出し


未だにこんなことをやっているのだよ

わたしってば




向き合いがいがあるでしょう笑

この苦しさから解放されたら

どんなわたしが待っているのかな




 


「当たり前」なことなんて何一つない

今ここにこうして生きていることだって

奇跡かもしれない



目が見えること

耳が聞こえること

喋れること

匂いがわかること

指が10本あること

歩けること

走れること

食べられること

静かに眠りについて、また朝を迎えられること


意識さえしていなかった当たり前に気がつくと

感謝の気持ちが溢れてきます



感謝の気持ちって

なんて素晴らしいのだろう

「ありがとう」が溢れているときの

魂の輝きやエネルギーの大きさには自分でも驚くことがある




 



ありがとう=しあわせ




日常の小さなひとつひとつが

「当たり前ではない」と気付く度に

感謝でいっぱいになり心が満たされる



「気づき」って最高のプレゼントよね♡



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