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  • 執筆者の写真Hiroe

だれのため?

「これってわたしに言ってる?」


と感じるような記事を見たり

たまたまそんな本を見かけたり

TVを観たりすることって

ありますか?




わたしはよくあります





例えば

ある記事を目にしたとき

「そうそう!わたしも同じように思っていたよ!」とか

「落ち込んでいたけれど、ちょっと勇気もらえたな」とか

「よし、自分の信じる道を胸張って進んでいこう」とか



その人が

実際にわたしを想って書いた記事かどうかだなんて

分かるはずもないけれど

わたしがそれを目にしたことで

気持ちが整ったことは事実




 


ブログを始めてから

ある方に聞かれたことがある


「あのブログは誰のために書いているの?」




最初は

「自己表現だから、自分のためだよ」

「自分の想いや願い、感じていることを嘘偽りなく表現するためのひとつの場だよ」

と答えたのだけれど


そこから深くたいわしていくと

「どこかの誰か、必要としている人に、届いたのなら嬉しいな」

という想いが出てきて


さらには

「どこかの誰か」ではなくて

「無自覚だけれども潜在的に、“あの人”を思い浮かべて書いているのかもしれないな」

というところに行き着いた




「自分のため」が

「あの人のため」であり

「みんなのため」である



すべては繋がっている

すべては循環している




 

↑↑↑

ここで終わろうとしたのだけれど・・・



ここまで言葉にしてみて

ひとつ違和感がある


わたしの伝えたい想いと

言葉になった文章を見たときに

しっくりこない感じ






「あの人のため」

「みんなのため」


この「ため」という言葉に何か引っかかるものがある

自分で書いておいてなんなんだけれど



 


正直に言うと

わたしの中に

「あなたのためにこれをお伝えします」

「あなたのためにこの技術を提供します」

「あなたのためにこんなに頑張ってます」

というような意識はない



「あなたのため」

ってなんか押しつけがましいと感じちゃう(わたしはね)


「あなたのため、あなたのため」って言ってくる人に対して

【 それって本当?自分のためじゃないの? 】

と感じちゃうわたしはひねくれ者だろうか?



 


「愛」「感謝」「感動」「見えている世界」「大切なもの」

そんなことをいろんなカタチで表現していたら


世界は穏やかな光に包まれ、温かく柔らかく、優しい笑顔で溢れる

それがわたしの見ている世界






わたしが誰かのことを変えることはできないし

わたしが誰かの行動やマインドをコントロールすることはできない



感じるのはあなたで

気付くのはあなたで

歩くも立ち止まるも決めるのはあなた



わたしの存在が

「結果的に」

あなたにとって良い状態になったのなら

それは嬉しいこと



 


「あなたのために」


それは

愛からきている言葉なのか

恐れからきている言葉なのか



ここがすべての根源


」か

「恐れ」か




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